チリメーサー開発秘話
福富(株式会社トマス技術研究所・社長)は、なぜチリメーサー®を開発したのか?
何を見て、何を感じ、何を決めたのか?
そして、どういう世界を目指しているのか?
以下はその開発ストーリーです。
天命に導かれたスタートアップ
「これは自分に与えられた使命だ」
そう感じた瞬間が、人生を変える。
ある日、テレビで放映されていた京都会議(1997年COP3)の様子を見て、技術者として生きてきた福富の中に、静かだが確かな“声”が響いた。「その道に進め」と。宗教的にも精神的にも深い確信を持っていた彼にとって、それは“神の示し”としか思えなかった。
当時はあるプラントメーカーに在籍し、環境技術、廃棄物処理、省エネプラントの開発に打ち込む日々だった。しかし、組織の制約の中では本当にやりたいことができない──その葛藤のなかで、“独立”という決断が降りてくる。
しかも、与えられたミッションは「小型焼却炉の開発」。
小型焼却炉など一度も手がけたことがない。経験ゼロ。知識ゼロ。だが「今こそ動くときだ」という強烈なインスピレーションを受け、ただ一人で会社を立ち上げた。創業時は、見積もりの作り方すら知らず、顧客に「どうやって作るんですか?」と聞いたという笑い話のようなエピソードもある。
それでも、「煙を出さずに廃棄物を燃やせる焼却炉をつくる」という信念はブレなかった。
やがて、法律が福富の使命を後押しする。
平成14年12月、「ダイオキシン類対策特別措置法」が施行された。なんと福富に“啓示”があったのは、そのわずか1カ月前──。タイミングは偶然ではない、と福富は確信している。
技術も、知識も、資金もなかった。
それでも「これが自分の天命だ」という強烈な確信だけがあった。
「不安は無かった」
今振り返ってもそう語るその目には、迷いはない。
絶望からの閃き
──黒煙と火柱の夜を越えて
構想からわずか数年──。
試作品第1号が完成し、ついに“夢の焼却炉”が姿を現した。
理論上は完璧だった。「タイヤを燃やしても煙が出ない」。
そのはずだった。
しかし、現実は残酷だった。
デモ当日、タイヤを炉に投入した瞬間──
黒煙が立ち上がり、火柱が3メートルも吹き上がった。
現場にいた顧客企業の社長も落胆した。
「詐欺師め!」
怒鳴り声が飛ぶなか、福富は絶望に打ちひしがれていた。
「もうダメだ。夜逃げしよう」
その夜、福富は妻にこう告げた。「夜逃げするぞ」。
しかし妻は毅然と言った。「何とかしなさい」──。
追い詰められた彼は、ひとり風呂に入り、ぼんやりと天井を見上げていた。
湯気が充満する密閉された浴室。
息苦しさを感じたその瞬間だった。
「これだ!」
風呂場の空気が、水蒸気に置き換わり、酸素濃度が下がる。
燃焼には酸素が必要であり、酸素が不足すれば、火も小さくなる──
小学生の頃に見た、ビーカーにロウソクを入れて蓋をすると火が消える実験。
その現象を応用すれば、炉内の酸素濃度をコントロールできる。
「煙を制御する鍵はここにある」
福富の頭の中で、図面が一気に描き上がった。
夜中のうちに工場へFAXを送り、翌朝6時には現場へ。
社長が来る前に装置を仕上げた。
1週間の猶予を懇願していたが、答えはすでに出ていた。
そして再デモ。
前日と同じように木くずや紙くずを投入。
次にタイヤ。
煙が立ち上がる。
福富「スイッチ、入れてくれ!」
その瞬間──
バチッという音とともに、煙が一瞬で消えた。
社長「えっ……消えた!?」
再び煙を出し、再度スイッチを入れる。
また消えた。完璧だった。
イメージした通りの現象が、炉内で再現されたのだ。
こうして、チリメーサーの“心臓部”ともいえる無煙化技術が完成した。
この奇跡のような出来事が、福富に「この技術で人を救う」という使命を明確に自覚させた。
そしてその思いは、次の舞台──インドネシアへとつながっていく。
焼却炉が命を救う
──バリ島での奇跡
それは、突然の訪問から始まった。
ある日、事務所に現れたインドネシア人の男性。カタコトの日本語、最初は沖縄のどこの方言かと思ったほどだった。その通訳が語ったのは、バリ島のゴミ問題だった。
観光業で潤う一方、その裏側では廃棄物があふれ、最終処分場には医療系の感染性廃棄物も混在。そこでは「ウェイスト・ピッカー」と呼ばれる人々が、ゴミを拾って食べ、生き延びていた。
そして──彼らの中には、感染症で命を落とす者たちもいた。
「このゴミ、燃やせますか?」
そう問われたとき、福富は迷わず答えた。
「燃やせます」と。
受け取ったのは、生ごみ、プラスチック、布、紙──すべてがぐちゃぐちゃに混ざった“どうしようもない”廃棄物だった。だが、それこそがチリメーサーの真骨頂。投入すれば、しっかり燃え、煙も出さず、灰しか残らない。
驚いたインドネシア人は言った。
「この技術を、バリ島に持ち帰りたい」──。
そこで調べ上げたのが、JICAのODA事業。
中小企業の海外展開を支援するプログラムがあり、それを利用したバリ島でのテスト導入が決まった。
実際に現地の最終処分場に足を運ぶと、そこは東京ドーム級のゴミ山だった。
そこに暮らす人々の生活。
その中には、感染症で命を落とした人々の姿もあった。
その現場で、福富は“声”を聞いた。
「あなたの技術で、この人たちを救え」
出所は病院。ならば、病院内にチリメーサーを設置すればいい。
感染性医療廃棄物がゴミ処理場に流れなければ、感染も防げる。
彼は、「院内焼却」というコンセプトで専用のモデルを開発。
バリ島最大の病院に納入。
結果──
ゴミ処理場に感染性廃棄物が一切出なくなった。
あの場所での感染症の拡大も、止まったのだ。
この功績は、JICAのベストプラクティス賞に選ばれ、2017年にはODA白書、2019年のG20大阪サミットで成功例として、日本政府から世界に発信された。
さらにモルディブへ。
そして、これからも世界各地へ。
小さな焼却炉が人命を救う。
その始まりは、「燃やせるか?」という問いに対し、「できない」と言わなかった一人の技術者のその覚悟だった。
使命としてのチリメーサー
──ゴミで命を落とす世界を終わらせる
「ゴミで人が死ぬ──そんな世界を終わらせたい」
それが福富の、そしてチリメーサーの“使命”となった。
日本にもゴミ問題はある。だが、インドネシアやモルディブのように、ゴミによって人の命が直接失われる現実は、あまりにも深刻だ。
バリ島での成功の後、福富は次なる支援先としてモルディブを訪れる。
日本政府の支援も受け、製品を納入した──
その直後、2020年、世界はコロナ禍へと突入。
海外との往来は4年間ストップし、海外展開は白紙に戻った。
許認可は期限切れとなり、実績も帳消しにされた。
それでも彼は諦めなかった。
2025年5月1日──インドネシア事務所を再開。
コロナの間に育てた現地の人材を軸に、再び世界に向けて歩み出す。
なぜなら、バリ島のような課題は、インドネシアに13,000の島々分存在するからだ。
そのすべてに、現地の実情に合わせたチリメーサーを開発・導入する。
大型集中処理ではなく、小型・中型を分散設置し、
「ゴミは出所で断つ」──
彼の信念がそこにある。
そして、彼が大切にしている言葉がある。
かつて宗教改革者マルティン・ルターが語ったという考え方だ。
すべての人には、その人にしか果たせない“天命”がある。
それを見つけ、磨き、誰かのために使うこと。
そして“ありがとう”と言われる仕事をすること。
それこそが、人としての真の幸せである
彼にとって、それが「チリメーサー」であり、
命を救うための焼却炉であり、
技術者としての生きる意味そのものだ。
離島の現場で、
廃棄物処理場で、
病院の裏手で──
小さな焼却炉が、確かに人を救っている。
これが、「チリメーサーの開発秘話」。
一人の技術者の信念と祈りから生まれた、世界を変える“熱”の物語である。